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わたしたちの不妊治療

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わたしたちの不妊治療は、院長のひとことで始まりました。
「俺も病院いくけぇー、治療して子ども作ろうやー。」

わたしは生理不順で治療していた時から、
治療しないと子どもは授かりにくいだろうとお医者さんに言われていたので、
院長から結婚1年後に不妊治療をしようと言われた時は、かなり驚きました。

というのも、わたしの年齢がすでに37歳でしたので、
成功率がそもそも低いだろうと思っていたからです。

また、不安もありました。
子どもが授かっても授からなくてもいい関係を続けられるか、
いつまで治療をするか、不妊治療にお金をいくらまでかけられるのか、
精神的に肉体的にどのくらいしんどくなるのか、
伝えることが難しいこともありました。

お互い感じ方が違ったり、考えもしなかったことだったりで
すぐに分かり合えないことが沢山ありました。
その都度二人で話し合うようにしましたが、かなり喧嘩にもなりました。

治療は、二人とも仕事を持っていたので、まず福山市内の病院ではじめました。
院長は、精子の形状、数、動き共に問題がなく、
わたしは、多嚢胞性卵胞症候群と診断されたので、
不妊治療の中心はわたしでした。

1年ぐらい福山の病院で検査や漢方薬の投薬をしながら治療していましたが、
あまり成果が得られませんでした。

友達や知り合い、通院した病院の看護師さんからも
福山の不妊治療では授かる確率が低いので、すぐ広島か岡山で
体外受精をした方がいいですよと勧められました。

でも、すぐに仕事を辞めて、広島か岡山に通う決断ができず、
病院を変えようとまつなが産婦人科に行きました。

そこの院長先生からやはり福山では成功率が低いので、
広島か岡山のクリニックに行ったほうがいいと言われました。

まつなが産婦人科の院長先生から
絹谷産婦人科とふたりクリニックの先生の特徴を聞き、
公共機関で通院しやすく、先生との話しやすさから、
広島の絹谷産婦人科に紹介状を書いてもらうことにしました。

絹谷産婦人科では、タイミング療法などは試さず、
体外受精から始め、2度失敗しましたが、3度目で成功しました。

多い時で月に6回バスで広島に通い、最後の体外受精の時には、
自宅で自分で注射器を使って8時間ごとに皮下注射をしました。

それと不妊治療をしている時に、クロレラを摂取していました。
葉酸の摂取量が多い女性ほど体外受精や顕微授精の治療成績が良好である
と言われていて、わたしの場合は検査での数値が良くなる傾向があったので、
クロレラで葉酸を取るようにしていました。
クロレラ工業株式会社「ヤクケン バイオリンク」です。

このようなことをしたから必ず授かれるということではないと思いますが、
治療したら授かるだろうという漠然としたイメージは持っていました。

それと、わたしの40歳の誕生日時点で着床してなかったら、
治療を止めようと二人で決めていたので、気持ちに焦りが少なかったかと思います。

40代では、成功する確率が一桁台になると聞いていたので、
そこから頑張ってもどうしようもないかもという考えでいました。

新聞で知ったのですが、2010年に中国で55歳の女性が
体外受精によって双子を出産されています。

中国での体外受精については、以下の記事を参考にしました。
2016年2月11日と2月12日の朝日新聞に載っていたものです。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12204294.html

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12206112.html

なので、年齢で諦めることはないかと思います。

しかし、不妊治療を始めると親など回りからの期待がプレッシャーとなり、
ストレスを感じやすくなりますので、一人で抱えないようにしましょう。
喧嘩してもいいので、必ず夫婦二人でよく話し合うようにしてください。

そして、治療中のストレスを少しでも軽減するために、
少なくとも治療を始める時期や止める時期を決めておくことをおすすめします。