「決断疲れ」とは、以下にウィキペディアより抜粋します。
「意思決定と心理学の分野において決断疲れ(判断疲れ、決定疲れ)とは、
意思決定を長時間繰り返した後に個人の決定の質が低下する現象を指す。」
人は、1日に9000回ほど決断しているそうなので、
脳が疲れを感じるのだろうと想像できます。
また、年齢とともに決断疲れにより脳が疲れやすい状態になったとしても、
不思議ではないでしょう。
なので、両親が高齢になったら頑固になったと怒るのではなく、
労るのが当然のことだと分かるのですが、感情的にならずに会話するのも
なかなか難しいと感じることがあります。
先日、父が胃がんと診断され、PET検査を受けたり、
手術を受ける病院で身体検査を受けるため、岡山に通っていました。
PET検査の結果、術後の最悪の事態(余命や再発、合併症など)を説明された後に、
医師から本当に手術をしますか?と、また決断を迫られました。
病院が違う医師(3名)の意見が同じだったので、両親は手術の決断を揺るがさない、
幸運にも同意見で迷うことないからとわたしは思っていました。
しかし、命や生活にかかわるとても重たい決断なので、77歳の母と84歳の父には、
まず怖さが先に立つようでした。
今まで決心していた手術なのに、命や生活の質に大きく関わる手術なんて、
やっぱりしないほうがいいのではないかと、二人で迷いだしてしまいました。
何度も何度も色々な検査を受けて、その度に慣れない病院に通う疲れ、
検査結果で良い面と悪い面の両方を説明されると気持ちが上がったり下がったり、
手術するかどうか繰り返し意思を確認されると迷ったりして、
徐々に不安が膨らみ冷静になれず、気持ちが疲れ、ガックリきているようでした。
電話で両親から別々に話を聞いても、どちらも不安が解消する様子がなく、
特に母とは喧嘩の口調になってしまったり、なかなか難しい対応になりました。
この年になっても我を押し通すようにお互いが口論になってしまうとは、
血のつながりによる血縁の汚さなのかと考えましたが、
誰も死にたいと思う人はいないのだから、怖がって当たり前と考え直し、
翌日、院長と一緒に私の実家を訪ねました。
電話で聞いた話、昔話、何度も聞いた同じ話を再度聞きました。
すべて聞き終わったうえで、医師が最悪の事態を患者さんに伝えるのは、
医師の義務であるとか、胃がんの治療は今のところ手術が一番の治療法であるとか、
繰り返し説明しました。
最後は、「あのとき手術しとけばよかった。。。」と後悔したくない!!
そんなことを考える家族はいないから、術後の不透明な最悪状況を想像するより、
一番今優先することを考えて欲しいと伝えたら、迷いが晴れたようでした。
前日の夜にも電話でも同じことをわたしから伝えていたのですが、、、
娘だけでなく、娘の旦那である院長も含め会って話すことにより、
冷静さを取り戻せ、自分の言いたい話を話し切ったスッキリ感と
二人から共感を得られたことで、重い決断をするための責任が少し分担でき、
決断疲れが少し解消されたのかもしれません。
決断疲れによる心の負担を減らすことも重要な治療の一部になるかと!!