先日、父の一周忌法要を行いました。
お寺さんが実家に来られ、浄土真宗のお経をあげて頂きました。
このあと、お話(法話)を伺い、お茶をお出しし、お墓にも一緒に行っていただき、
お経をあげて頂きました。
母と姉夫婦とその娘たち(3歳半の双子)、院長と私、お葬式の時以上に人数限定の
とてもこじんまりとした法要でした。
うちの息子は学校に行っていて、不参加でしたので。
最近の法事では、食事を出さないことが多いとも聞きますが、
お寺さんを囲んでの食事も、幼子がいるということで行いませんでした。
家族で夕食を予定していましたが、幼子に合わせて5時半に始まり、
院長は8時まで営業していたので、これまた参加せずの家族がいて。
父の一周忌法要、みな喪服は着ていましたが、色々なことをかなり簡略化していた
と思います。
さらに、「亡くなって一年経つとは思えないね。なんか帰ってきそうな感じがする。」とみなが口を揃えたり。。。
写真を見ながら思い出に浸るとか、故人を偲ぶというよりは、ほんわかとした雰囲気で去年の出来事を振り返るという感じでした。
父は、雪がちらちらと舞う週に亡くなり、お葬式の時も雪が降っていたので、
この暖かさは、父が気を使ってくれたのかなと、笑い合ったりとか。
積雪で新幹線が止まったので、みなで寒い寒いと文句をいっぱい言っていたので。
「父の死、その時の色々な気持ちとかも時間が経つとともに薄れていくのだなぁ~。」としみじみと感じます。
今回、父の話をしていても、誰も一度も涙を流すことがなかったので。
でも、こんな家族を父は上空から穏やかに眺めてくれているかな?
お葬式の前日が、とてもバタバタしていたことを思い出します。
葬儀場の担当の方が家に来られ、祭壇のサイズ、お花やお供え、写真、斎場で流す
音楽、受付、宿泊、食事など、葬儀の見積りを2-3時間ぐらいで決めたりしたので。
親とは、いつかお別れの時が来ると分かっていても、なんだかすごく急な気がするもんですね。
一周忌法要が終わったばかりですが、次は三回忌法要が来年になるそうです。
三回忌は、早めにするのは構わないそうなので、同じ時期より変えて、今年の秋にでもみなで旅行を計画しようかという案がでたりしています。
法事は、父との思い出を囲んで、家族が集い、朗らかに笑ったり、喋ったり、
旅行のきっかけになったり、楽しみなイベントになり得るのかも。
法事が終わって感じたのですが、終わったことは、変えられないから、
後悔し続けることなく、これから同じような後悔がないよう変える努力をしていくだけなのかなと。
法事で振り返るきっかけを、区切りをつけて立ち止まるのもあり!