父の看病疲れは、身体的にだけでなく、精神的にもかなりあったと思いますが、
母と姉、わたし、それぞれ父に対する思いは、かなり違いました。
まず、母は、77歳で自身も高齢者でひじや手首の手術などをした後で、
利き手が不自由であったこともあり、父の余命が半年から1年と聞いてからは、
半年間は、寂しがり屋の父をしっかりとお世話するという感じでした。
例えば、病院への付き添い、病院への送迎、入院時(1月)は泊まり込んだり、
比較検討するために葬儀場のパンフレットを取りに行ったり、
お寺さんを決めたり、お墓に魂を入れるかどうかをあれこれと考えたり、
父の死を前提に、自分ができる事務的な手続きのようなことを着々と進めていました。
77歳の母には、末期がん患者(父)の看病はかなり負担が大きかったとは思いますが、
もう家族として役目が終わった人のような扱いに、50年以上連れ添った夫婦でも、
夫婦には他人の部分が残るのだなと感じました。
姉は、東京在住で2歳児双子の子育て中のワーキングママであり、
こちらに頻繫に来て介護することができない状態でしたので、
母や私の負担が少しでも軽くなるように、最善の治療や看護方法を相談しながら、
精力的に動いてくれました。
父は、娘の子育てに消極的で、姉もわたしも、父との接点は少なく成長しましたが、
娘らが大人になってから、姉にわたしのことを心配して相談したりしていたようです。
この度のように、父が入院しても、父がわたしに聞くことは決まっていましたが。。。
「商売は上手くいっているか?」「姑とは上手くいっているか?」の2点です。
なので、わたしは、特に父と二人だけのときに聞いておきたいことがあるとか、
考えたことすらありませんでした。
しかし、姉は、父と二人だけで、どう思っているのか聞きたいことがあると言い、
病室に泊まり込みました。
わたしにも聞きたいことは、聞けるうちに聞いたほうがいいと勧めてくれましたが、
姉も私も父が1月に入院してからは、父と会話ができませんでした。
父は、こちらの言うことは、分かる時期もありましたが、
鼻から点滴をし、酸素吸入をしていて、口は常に開いたままでしたから、
アーとか、ウーとか、言葉にならない声しか出ませんでした。
父が胃がん末期であると分かったときに、家族は父の死を覚悟します。
母は、父が楽に逝けるように、看取ることに意識が向いたようでした。
娘二人は、どんな治療が父をもっと生かせるかに向きました。
それぞれ、立場が違ったり、性格や父に対する思いが違ったりするので、
母が間違っているとか、こうしたほうがよかった、
こうしてはいけなかったとかいうつもりは全くありません。
あまり知りたくなかったということはありましたが。。。
ただ、母と娘では父に対する温度差がかなりあるということに、大変驚きました。
それぞれに違うことを知り、それぞれが後悔しない、
後悔が少ない方法を考えていく必要があると本当に只々実感しました。
よく聞く言葉に、「人の敵は、人」とありますが、人は、味方(=見方)でもあります。
家族が治らない病気になったら、できる限り親、兄弟(姉妹)で話し合って、
後悔しない治療や介護方法を選ぶ必要があると思います。
違いを理解するよう努力する、おすすめです!!